適当な散歩録

愛知県三河の散歩。たまに遠州南信に遠征。その備忘録。放置系ブログです。

2016年02月

愛知 豊田 三河松平城 松平氏発祥の地にある館の詰城をぶらり

三河松平城  別名、郷敷(ごうしき)城。 応永の頃(1394-1427)、松平氏の始祖親氏(ちかうじ)が築いたといわれる。城は松平氏館跡の南東500m、お城山と呼ばれている、標高298mの山頂に位置する。文禄の頃(1592-1595)に破却といわれているが、明らかではない。(現地説明板より抜粋)
松平親氏とは、徳川家康の祖先。 この辺り一帯を、松平氏発祥の地として、ちょっとした公園として整備されている。
場所:豊田市松平町

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松平郷入口
↑ の道は国道301号線。 現地駐車場入り口から撮影。 ↑ の看板通り進んでいくと、松平東照宮がある。松平城に行く場合は、国道沿いにある、この駐車場が便利。 詳しくは ↓

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地図看板

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厠&道標
駐車場には、割と立派な厠がある。その向こう側にある細い道を登ること数分で、入口にたどり着く。 ↓

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松平城 入口 
山城の入口ではあるが、この入口の反対側に、町工場がある。そこにはデンソーと書かれた箱が置かれていたことからも、自動車部品を扱っていると思われる。ある意味、三河地方らしい風景で、田舎ではあるが、かといって山奥感は感じない場所。

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現地案内板
松平城 縄張り図。 かなり汚れている。見にくいので、誰かが拭いたのかな?

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右か左か? 
まずは主郭を目指す。

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曲輪2 
割と細長い曲輪。
その奥にある、坂を登ると ↓

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主郭 

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主郭 
主郭内には、これといって目立つものはないが、幾つか石がある。 巨石というほどではないが、その上に松平城址碑がある。自然石なのか、ある程度加工をしているものなのか? どうなんだろう。
主郭から俯瞰したところに、空堀もあるようだが、木が生い茂り、よくわからなかった。

来た道を戻る ↓

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曲輪3・4への道

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曲輪3 
ここも曲輪2同様、かなり細長い曲輪。さほど収容力はないように見える。

縄張り図には道が載っていないが、そのまま4の曲輪に向かうことができる。

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神社 
曲輪3と曲輪4の間にある神社。この背後にある道標が ↓

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道標 
まずは井戸跡へ

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井戸跡へ
この辺りで、わんこ(麓の民家にいる犬)に歓迎される? 
ここから、矢印方向に進む。ここからは、登り坂&軽く藪コギ。距離は大したことがないが、歩きやすい靴は必須。

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井戸跡 

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井戸跡
ほとんど埋まっている。 当時は主郭から、ここに直接行ける道があったのだろうか? 道がないとしたら、結構不便なところにある。

来た道を戻り、今度は櫓台を目指す。 ↓

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櫓台へ
この矢印のすぐ向こう側にある、広い区画が ↓

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曲輪4 
ここの曲輪は比較的広い。

さらに進んでいくと。 ↓

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櫓台 
崩壊寸前の櫓、ではない。祠跡? 
櫓台の看板の近くにも石があるが、それが櫓台なのか? 縄張り図を見てもわかるように、監視のための櫓が置かれるのに、ちょうどよさそうな場所である。 

山城といっても比高は50mもないので、それほど大変な城ではない。 それに、説明板もあるので、見学しやすい山城。ただし、目立った遺構はない。だが、松平氏発祥の地にある詰城というだけでも、城好きであれば、行って損はないと思う。
撮影16年2月
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冬の甲信旅-21 さようなら甲斐の国

冬の甲信旅3日目。ようやく最終回。 旅の終わりは、いつも列車の時刻まで、その街の雰囲気を楽しみながら、ぶらぶら。疲れ果てて、喫茶店という場合もあるが、最近はス○バのような店も多く、あまり好みではない。と、脱線したが、最後に富士山を見ようと思い、駅近くの小山を目指す。

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甲府城天守台から富士山を眺める
駅近くの小山とは甲府城。今回の旅のテーマは、しつこいが武田氏なので、最初から甲府城は予定に入れておらず。ここ甲府城は、武田氏滅亡後に造られた城。なので、武田信玄とは何ら関係ないが、“風林火山”旗が並ぶのは、さすが。ちなみに、街を歩いていても、柳沢氏関係のものは、(さらっと見た限り)見当たらない。この街の発展の功労者ではあるのだが。 何はともあれ、天気は良く、見事な富士山を眺める。

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甲府城天守台から雪山を眺める
山の名前はさっぱり。

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甲府城天守台から甲府駅方面を眺める
甲府城も、お約束のように、鉄道によって分断。そのため、線路の向こう側にも復元された門が見える。

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現地説明板

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山手渡櫓門

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JR甲府駅 南口

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甲府駅前
駅前は工事中であった。
もちろん、南口には ↓

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武田信玄像
やはりこの街は、武田信玄公。写真を撮り、お約束の信玄餅を買い ↓

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甲府駅舎内
最近は大手コンビニ進出が目立つが、これからも残ってほしい、NewDays。
駅そばもあるが、空腹ではなかったためパス。NewDaysで、飲料を仕入れ、身延線ホームへ。

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特急かいじ号
最後にE257を眺める。 もちろん、乗るのは ↓

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JR身延線・富士行
ここからは、なじみの東海車両の旅。 さようなら甲斐の国。
車窓を眺めながら、のんびりとした鉄旅を楽しむつもりであったが、実際には、かなりの時間zz…。

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JR富士駅

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駅名標

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ホーム

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東海道線・浜松行
冬の甲信旅は終わり。 今回も、いつものように城巡り中心の旅であったが、天気にも恵まれ、久しぶりに近くで富士山を眺めることができ満足。フジサン特急は残念だったけど。18きっぷ旅らしい、のんびりとした旅でした。


 冬の甲信旅-1 いざ信州松本へ 

 冬の甲信旅-2 松本駅のそば 

 冬の甲信旅-3 信濃松本城-イ 太鼓門 黒門を眺める 

 冬の甲信旅-4 信濃松本城-ロ 風格ある黒の五重天守を眺める 

 冬の甲信旅-5 旧開智学校校舎 擬洋風建築を眺める 

 冬の甲信旅-6 旧司祭館 純西洋館を眺める 

 冬の甲信旅-7 松本神社 

 冬の甲信旅-8 信濃松本城-ハ 堀沿いをぶらり 

 冬の甲信旅-9 松本城下町をぶらり 

 冬の甲信旅-10 諏訪高島城 諏訪の浮城をぶらり 

 冬の甲信旅-11 諏訪湖と上諏訪の街をぶらり 

 冬の甲信旅-12 甲斐新府城 武田氏 悲劇の城をぶらり 

 冬の甲信旅-13 新府駅から河口湖駅へ 

 冬の甲信旅-14 河口湖 湖畔をぶらり そして富士山 

 冬の甲信旅-15 フジサン特急に乗って大月へ 

 冬の甲信旅-16 甲府駅 駅前そば 

 冬の甲信旅-17 藤村記念館 旧睦沢学校校舎を眺める 

 冬の甲信旅-18 甲斐 躑躅ヶ崎館-イ 主郭をぶらり 

 冬の甲信旅-19 甲斐 躑躅ヶ崎館-ロ 西曲輪から館の北側をぶらり 

 冬の甲信旅-20 甲斐 躑躅ヶ崎館-ハ 館の南側をぶらり 

 冬の甲信旅-21 さようなら甲斐の国 

撮影15年12月
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冬の甲信旅-20 甲斐 躑躅ヶ崎館-ハ 館の南側をぶらり

冬の甲信旅3日目。 ◆甲斐 躑躅ヶ崎館-イ 主郭をぶらり  ◆甲斐 躑躅ヶ崎館-ロ 西曲輪から館の北側をぶらり の続き。
現在、躑躅ヶ崎館の北側には、水掘がない。現地にある、往時の復元想像図をみても、やはり北側には水がない。しかし、館の南側には、しっかりと水掘によって守られている。というわけで、館の南側をぶらり。

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現地説明板

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地図看板

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堀 
堀の水は少ない。冬なので枯れ気味なのか、それとも復元工事のために、あえて水位を低くしているのか?

↑ の位置から振り返ると ↓

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高坂弾正忠昌信屋敷跡 
信玄、勝頼時代の知将。武田24将。
館の大手口の近くなので、当然重臣たちの屋敷が並んでいたのでしょう。

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神橋上から堀を眺める 東方向 

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神橋上から堀を眺める 西方向 
神橋は、武田神社のために造られた橋。つまり、館時代には、存在しないし、ここから館内に入ることもできない。

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堀 
写真右側が館の主郭。左側が西曲輪。本来は、土橋のあたりまで、水が覆われていたのかも。

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西曲輪南側枡形虎口 

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堀 東方向を眺める 
この辺りは、腰巻石垣。この辺りも、武田滅亡後に設けられたものでしょう。

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堀 北方向を眺める 

梅翁曲輪の堀を目指す ↓ からへと進む。

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現地説明板
↑ の図は、中世の甲府となっているが、梅翁曲輪が描かれている。梅翁曲輪は、武田滅亡後に造営なので、館の最終形の想像図と思われる。

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堀 から北方向を眺める
堀の向こう側が梅翁(ばいおう)曲輪跡。この曲輪は、武田氏滅亡後に造営されたもの。
現在、曲輪内は住宅地が広がっているが、空き地もあるので、何らかの調査も行われているのかも。 こちらの堀も、館の北側の空堀同様、荒れ気味。ある意味、古城感がある。

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堀 から東方向を眺める

↑ を撮影した辺りで振り返ると ↓

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内藤修理亮昌豊屋敷跡 
知略に優れた武将。武田24将。
完全に更地状態ではあるが、屋敷跡。 館の南側には家臣の屋敷が広がり、城下町と続いていたらしい。

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堀 

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武田神社 バス停 
ぶらりと館を巡り、バスに乗って甲府駅へ。
今回の旅のテーマは、一応武田家。そして、ここは武田の本拠地。個人的に好きな武将なだけに、十分館巡りを堪能し、甲府へ。 しかし、またしても要害山へは行けず。今度こそは、と思いながら。
撮影15年12月
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冬の甲信旅-19 甲斐 躑躅ヶ崎館-ロ 西曲輪から館の北側をぶらり

冬の甲信旅3日目。 甲斐 躑躅ヶ崎館-イ 主郭をぶらり の続き。
現在、躑躅ヶ崎館というよりは、武田神社の方が一般的な名称。そのため、ここを訪れるのは、参拝客が中心だと思う。時期的に閑散期ということもあるだろうが、西曲輪方面に向かう人は、少ない。だが、城巡りとしては、ここからが本番。


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主郭から西曲輪方向を眺める 
土橋を渡ると西曲輪。 
西曲輪  天文20年(1551)に造営。信玄の長男、義信の婚姻の際に、増設されたらしい。その義信は謀反の罪に問われ、東光寺で自害。その後の利用については、不明らしい。

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地図看板

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厠でござる 
西曲輪に入ると、すぐ目につくのがトイレ。

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西曲輪南側枡形虎口 
現在復元整備中。 僅かに残る石垣は、武田氏滅亡後に設けられたものらしい。
完成すると ↓

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完成予想図
つまり、武田時代の館を復元するというわけではなく、館の最終形が再現されるらしい。

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西曲輪
現在発掘調査中。礎石でも見つかったのだろうか?
この曲輪には、甲府駅前にある藤村記念館が移築されていたので、あまり調査が、進んでいなかったのかもしれない。 
西曲輪の土塁は、(たぶん)登ることができないので、西曲輪から水掘を眺めることはできなかった。

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西曲輪から北側枡形虎口を眺める
少し高くなっている辺りが虎口。

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現地説明板

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西曲輪北側枡形虎口 
土橋の辺りから撮影。つまり写真の奥側が西曲輪。石垣こそ、武田期後に設けられたものだが、構造そのものは、武田期の特徴を残す。

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土橋
雨だと、滑って堀に落ちそうな橋。ある意味、守りとしては合格。 実際のところ、この辺りまで足を延ばす人は少数で、大半が城好きでしょう。

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空堀
この手の堀が、最も写真では伝わりにくい。天然の堀ではないので、落ちたら登れないということはないと思うが、それでもそこそこの深さがある。

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味噌曲輪を眺める
この辺りには、信玄の母らが居住していたと考えられている。
現在は、ちょっとした棚田のようになっている。それも今は放棄地状態? この辺りは国指定の史跡ということもあり、改めて本格的な調査が行われるのかも?

ここから、堀沿いを歩いて東方向に進む。絵図などを見ると、主郭と繋がる土橋があるのだが、見落とした。あったのかなぁ?

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御隠居曲輪南スポット公園 
公園というほどの場所でもなく、いったいどれほどの人が、利用しているのだろう。一応ベンチもあるけど、城好き以外は、あまり眺めがよいとも思えないのだが。この向こう側には堀。そして主郭がある。
公園名は、隠居曲輪となっているが、他の現地説明板を見ると、この辺りは無名曲輪となっていて、隠居曲輪はもっと北側(写真とは反対側)に位置する。

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空堀
この辺りは完全に荒れ放題。単に手入れをしていないだけなのか、それとも神域として、入ることができないのか?

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大手石塁 ⑥ ① ←水色の丸印は、↓ の説明板参照。
大手口の前。 この石垣は、武田氏滅亡後に築かれたもの。この石塁の下には、三日月掘が発見されている。三日月掘&丸馬出は、武田の特徴ともいえる施設。 武田氏最後の城でもある新府城でも、三日月掘と丸馬出で守られていることから、武田時代は、確実に三日月堀と丸馬出で守られていたのでしょう。

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土塁 
この辺り一帯(大手口の東側)は、復元整備が進んでいる。 とはいえ、この辺りの施設は、徳川時代などにかなり手を加えているのかも。

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現地説明板

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北側虎口 

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厩跡 
武田といえば騎馬隊。もちろん、徳川の騎馬隊も。

大雑把に西曲輪から館の北側をぶらりと散策。この後、今も残る水堀沿い。館の南側へと続きます。
撮影15年12月
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冬の甲信旅-18 甲斐 躑躅ヶ崎館-イ 主郭をぶらり

冬の甲信旅3日目。 甲府駅北口から、山梨交通のバスに乗ること、およそ10分。いつの間にか、交通ICカードに対応しており、manacaでもOKであった。目的地は武田神社。つまり、躑躅ヶ崎館跡。

躑躅ヶ崎館  武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に、館を移したことに始まる。その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使用される。 館は、一辺が約200mの正方形の主郭を中心に、その回りの幾つかの副郭とによって構成された、平城形式。(現地説明板より抜粋)

武田神社バス停を降りると、目の前にあるのが、↓

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武田神社・神橋 
神橋を渡ったところにある石垣。立派な城の石垣のように見えるが、これは後年に造られたもので、躑躅ヶ崎館時代にはなかったもの。館の大手口は東側(写真右方向)にある。というわけで、大手口を目指す。

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地図看板

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大手口 
現在は、武田神社の境内への入口なので、武田神社大手門。大手門の横には、土塁が見える。

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橋上から堀を眺める(南方向)
現在は空堀状態。ただし、googleマップを見ると、こちら側は、水掘になっているため、梅雨時には水があるのかも。

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橋上から堀を眺める(北方向)
こちらは、マップでも空堀。ただし、往時の想像図でも、空堀として描かれているものもある。実際のところは、どうだったのだろう?

大手口から入ると、すぐ北側(右)にあるのが ↓

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宝物館 
何ともミスマッチなキティちゃんがお出迎え。
内部は撮影NG 中には、ジオラマや武田二十四将図などが展示されているが、やはり目玉は、孫子の旗。“風林火山”。

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武田信玄像
館内で唯一撮影OKなのが ↑ 記念撮影用。この隣に“風林火山”旗がある。これを見るだけでも、入館する価値あり。

宝物館を出て、再び城巡り再開。

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武田神社 拝殿 
信玄公が御祭神として祀られている。 ここが、館の主郭部分で、東曲輪と中曲輪がある。今はその遺構を見つけることはできない。

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武田神社 参道
冬の閑散期なので、旗が一本もないという淋しい状況だが、季節によっては、ここに“風林火山”旗が並ぶ。やはり淋しい。

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姫の井戸のお水 
“姫の井戸”は躑躅ヶ崎館内でも、生活の中心となる場所にあり、一説によると、信玄公の御息女誕生の折、産湯に使用したことから“姫の井戸”と名付けられた。(現地説明板より抜粋)

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武田水琴窟
現地説明板によると、水琴窟は江戸期の技術とあるので、何ら躑躅ヶ崎館とは、関係がない。

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甲陽武能殿 

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主郭 
主郭の目立った遺構といえば、土塁。この辺りから北側(写真右)を望むと ↓

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天守台方向を眺める
この辺りに天守台があるらしいが、残念ながら見えなかった。ここは、立ち入り禁止区域なので、手前に柵がある。 天守台は、武田時代のものではなく、徳川家康家臣、平岩親吉による改修の際に、造られたものらしい。 冬なので見えるかなと思ったが、残念。

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主郭から西曲輪方向を眺める 
僅かに石垣があるが、いつの時代のものだろう?

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土橋から北方向を眺める 
12月と思えないほど、紅葉が残ってるなぁ。

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土橋から南方向を眺める
こちらは水掘。といっても、水位は低いが。

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現地説明板
主郭の想像図。
土橋を渡り、西曲輪への散策に続きます。
撮影15年12月
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