冬の甲信旅。 信濃松本城-イ 太鼓門 黒門を眺める の続き。
松本城の案内パンフには、現存最古の五重天守とあるが、そもそも現存五重天守は二基のみ。姫路城と松本城だけ。あちらは白の天守に対し、こちらは黒の天守。とはいえ、別称は烏城ではなく、深志城。
松本城天守 天下統一した秀吉は、家康を関東に移封。松本城の小笠原氏は家康に従い下総へ。そこに、石川数正が松本へ。数正と康長父子により、近世城郭の基礎を造る。その後康長は改易。その後城主となったのは小笠原秀政。 案内パンフによれば、天守の築造年代は、文禄2年から3年(1593-4)と考えられるとあるが、別の資料を見ると、石川氏が創建した天守は三重の乾小天守説となっており、五重天守は小笠原氏による創建となっている。
本丸内から眺める天守群
左手前から月見櫓 辰巳附櫓(巽小天守) 天守 渡櫓 乾小天守
月見櫓や辰巳附櫓は、寛永時代の増築。
あれだけ石落としが多く、戦闘型の天守に、月見櫓という不思議な組み合わせ。 平城なので、天守に行くのも苦労はなく、たまには月見をするために行ったのだろうか? それにしてもきれいに整った天守群。美しい。
接近して見上げる
美しいが威圧感も感じる。 大手口は天守と乾小天守の間の渡櫓から。 天守群の入口としては、月見櫓の下にも地階入口がある。
さっそく天守内へ↓
天守内
それなりに修繕もしているだろうが、時を重ねた柱。
天守内
たぶん一階か二階だと思う。 どの城に行っても自信を持って言えるのが、後で写真を見ると、どこの階を撮ったのか、わからなくなる。一応自称城好きだが、この辺りは実にいい加減である。
天守三階
ここは三階。なぜなら、看板に三階とあるから。
破風の間
小さい子が喜びそうな場所。 本丸には中学校のグラウンドがあった時代もあるようなので、もしかしたら生徒たちが遊んでいたかも? 柱には落書き? らしきものもちらほら。
天守最上階
さっそく外を眺める↓
西方向を眺める
右側にちらっと見えるのが、埋見門に向かって架かる橋。内堀の向こうは二の丸。
12月中旬の信州で、僅かに黄葉が残っている。いかに温暖な12月だったのか。事実この日は、歩くと汗をかくぐらいの暖かさ。
南方向を眺める
広大な内堀の向こうは二の丸。公園のような部分の向こう側に、家が並ぶ辺りが、外堀があった場所。復元計画もあるようなので、何れは外堀となった景色になるのかも? でも、容易ではないような。
東方向を眺める
芝生広場にある黒い線のようなものは、本丸御殿跡。その向こう側にある建物は、お土産屋。 かつてはその向こう側(堀の手前)、多聞櫓によって本丸が防御されていた。
北方向を眺める
見える櫓は乾小天守。石川氏が創建した天守を改造したものという説もあるらしい。
(たぶん)辰巳附櫓から俯瞰
下で案内をしているのが、小笠原殿。時期的に閑散期? ということもあり、ちょっと淋しそう。しかも家臣もおらず…。
月見櫓
これだけ開放感のある部屋は珍しい。やはり平和な時代には、眺め重視。姫と一緒に…。
天守群を見学し、外へ↓
案内板
1-天守を出てから、本丸内の埋見門へ。
2-黒門を出て、二の丸の内堀沿いを歩きながら、天守群を眺める。
埋見門
内堀を渡る非常門。 以前はこの橋を渡れたと思うが、今は閉鎖されている。
かつては、ここに橋は架かっておらず、土塀が続いていたらしい。城絵図にも残されている。
アルプちゃん(甲冑バージョン)
松本市のマスコットらしい。
黒門辺りから眺める
黒い天守に白鳥。
二の丸から内堀と天守を眺める
層塔型天守でありながら、旧式の雰囲気も残る天守。 この内堀の広さが、美しさを引き立てている。
しかし、ここの内堀は、なんとなく浅いように見えるのだが、実際のところは、どうなんだろう?
内堀と埋見門に至る橋
赤い橋は、もともとは土塀が続き、緊急用の通路。
やはり現存天守は、何度見てもいいもんだなあ。
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松本城の案内パンフには、現存最古の五重天守とあるが、そもそも現存五重天守は二基のみ。姫路城と松本城だけ。あちらは白の天守に対し、こちらは黒の天守。とはいえ、別称は烏城ではなく、深志城。
松本城天守 天下統一した秀吉は、家康を関東に移封。松本城の小笠原氏は家康に従い下総へ。そこに、石川数正が松本へ。数正と康長父子により、近世城郭の基礎を造る。その後康長は改易。その後城主となったのは小笠原秀政。 案内パンフによれば、天守の築造年代は、文禄2年から3年(1593-4)と考えられるとあるが、別の資料を見ると、石川氏が創建した天守は三重の乾小天守説となっており、五重天守は小笠原氏による創建となっている。
本丸内から眺める天守群
左手前から月見櫓 辰巳附櫓(巽小天守) 天守 渡櫓 乾小天守
月見櫓や辰巳附櫓は、寛永時代の増築。
あれだけ石落としが多く、戦闘型の天守に、月見櫓という不思議な組み合わせ。 平城なので、天守に行くのも苦労はなく、たまには月見をするために行ったのだろうか? それにしてもきれいに整った天守群。美しい。
接近して見上げる
美しいが威圧感も感じる。 大手口は天守と乾小天守の間の渡櫓から。 天守群の入口としては、月見櫓の下にも地階入口がある。
さっそく天守内へ↓
天守内
それなりに修繕もしているだろうが、時を重ねた柱。
天守内
たぶん一階か二階だと思う。 どの城に行っても自信を持って言えるのが、後で写真を見ると、どこの階を撮ったのか、わからなくなる。一応自称城好きだが、この辺りは実にいい加減である。
天守三階
ここは三階。なぜなら、看板に三階とあるから。
破風の間
小さい子が喜びそうな場所。 本丸には中学校のグラウンドがあった時代もあるようなので、もしかしたら生徒たちが遊んでいたかも? 柱には落書き? らしきものもちらほら。
天守最上階
さっそく外を眺める↓
西方向を眺める
右側にちらっと見えるのが、埋見門に向かって架かる橋。内堀の向こうは二の丸。
12月中旬の信州で、僅かに黄葉が残っている。いかに温暖な12月だったのか。事実この日は、歩くと汗をかくぐらいの暖かさ。
南方向を眺める
広大な内堀の向こうは二の丸。公園のような部分の向こう側に、家が並ぶ辺りが、外堀があった場所。復元計画もあるようなので、何れは外堀となった景色になるのかも? でも、容易ではないような。
東方向を眺める
芝生広場にある黒い線のようなものは、本丸御殿跡。その向こう側にある建物は、お土産屋。 かつてはその向こう側(堀の手前)、多聞櫓によって本丸が防御されていた。
北方向を眺める
見える櫓は乾小天守。石川氏が創建した天守を改造したものという説もあるらしい。
(たぶん)辰巳附櫓から俯瞰
下で案内をしているのが、小笠原殿。時期的に閑散期? ということもあり、ちょっと淋しそう。しかも家臣もおらず…。
月見櫓
これだけ開放感のある部屋は珍しい。やはり平和な時代には、眺め重視。姫と一緒に…。
天守群を見学し、外へ↓
案内板
1-天守を出てから、本丸内の埋見門へ。
2-黒門を出て、二の丸の内堀沿いを歩きながら、天守群を眺める。
埋見門
内堀を渡る非常門。 以前はこの橋を渡れたと思うが、今は閉鎖されている。
かつては、ここに橋は架かっておらず、土塀が続いていたらしい。城絵図にも残されている。
アルプちゃん(甲冑バージョン)
松本市のマスコットらしい。
黒門辺りから眺める
黒い天守に白鳥。
二の丸から内堀と天守を眺める
層塔型天守でありながら、旧式の雰囲気も残る天守。 この内堀の広さが、美しさを引き立てている。
しかし、ここの内堀は、なんとなく浅いように見えるのだが、実際のところは、どうなんだろう?
内堀と埋見門に至る橋
赤い橋は、もともとは土塀が続き、緊急用の通路。
やはり現存天守は、何度見てもいいもんだなあ。
撮影15年12月
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